ち~っとも、釣れる気がせんかった。
今日、ここには魚おらんかったもん。
すごく個人的な感想ではありますが、正直な気持ちです。
友人から、
『釣れへんで~、それでも行きたいんか』
と、念を押されてはいた。
アメリカでもニュージーランドでもそれなりにニジマスを釣ってきた経験から、
「そんなことないやろ、やり方さえ見つけたら絶対に釣れるはずや」
と、僕は思っていた。
養殖したニジマスを放り込んだ川やろ、そんなん簡単やん。・・・ってな感覚だった。
たとえ難しいとしても、僕は自分の経験の中から荒雄川みたいなものかと考えていたが、それさえも甘かった。
管理釣り場的な感覚でこの釣り場に来られ方は、よほどのよい状況に当たらなければ、失意のままにお帰りになるんじゃないかな、と思う。
はっきり申し上げて、そう簡単に釣れる釣り場じゃない。
ええことばっかり書き連ねる釣り雑誌に、またも欺された・・・
僕は魚よりもアホやん!!
そして、川を歩きながら、僕はいろいろと考えざるをえなかった。
だって、釣れないんやもん(笑)
いまの市川のフライエリアは、釣り人と地域の方々という、善意の人々の集まりから成り立っている。
駐車場の整備やアクセスポイントの設置など、地元の方の努力には頭が下がる。
ただ、まだまだプライベートな域を脱しているとは言い難い。
今後のことを考えると、この釣り場をどうしていくのかをもっと公の場に上げてそのなかで考え、例えばだが、漁業権を設定するなどの方法で管理していく方法をとらないと、いつのまにか自然になくなってしまうような気もする。
これまでにも、そういったケースを多数見聞きしてきたから。
立ち上げるのは盛り上がる情熱があるので簡単だ。
でも、それを継続させることは非常に難しい。
あの311のことですら、当事者でなければすでに記憶から薄れていってしまっているのがこの国の人々の特質だから。
ぶっちゃけて言うと、お金の収受がない≒責任がない、と考えることも出来るわけだ。
でも、お金を頂く=社会的、法的にオフィシャルなものにする必要がある。
寄付を募っている以上、お金の流れを見えるようにするためにその使途を明確にするのが大切だ。
そのうえで、たとえば予算と放流量の管理、その定着率や対費用効果の算出のために、入川した釣り人にその日の釣果や河川状況をロブブックに記載してもらう、などをすることも必要になってくるだろうし、やっぱりそれなりの経費は掛かるはずだ。
どんなことをするにも予算は必要だし、気持ちよく釣りが出来るつり場になら、釣り人(特にフライの方)はそれなりの対価を払う用意があると思う。
あえて言いにくいことを書かして頂いたのだが、
それは、このつり場を否定する気持ちから出たものではなく、
『少しでも前に進み始めた貴重なプロジェクトだからこそ、ぜひとも成功して欲しい』
との気持ちからのことなので、ご了解頂きたいと、僕は思う。
そして、そのための物事で僕に出来ることがあれば、たとえささやかなことしか出来ないとしても、どんなことでも協力させて頂くつもりもある。
おおせの通りだと思います! これからは ハードよりも ソフトを充実させる段階のような気がしますね
返信削除そろそろ静観していた人達が動き出しそうな気配です ...
物陰から応援させて頂きます