Katana 704
いい竿ってなんなのでしょうか・・・
記憶をたぐりながらフライロッドの話を書いていると、竿の善し悪しの基準ってモノが余計にわからなくなってしまいます。
2本の竿を比較検討することを続けて、どちらを選択するかというチョイスをやりつづけていくと、最後に1本の竿が残るわけです。
でも、はたしてそれがベストな1本なのかと問うと、
「なにかおかしいんじゃないか」
といういう違和感が消えません。
手元が太く、先が細くなっていて、振ったら適当にしなり、フライラインを通すガイドさえ付いていれば、その棒状の物体はフライロッドとして使えるわけです。
作った人やメーカーがフライロッドだって言えば、それはフライロッドだし、
使っている人がフライロッドだと思えば、どんな竿でもフライロッドなんですね。
世の中にあるフライロッドというフライロッドは、やっぱりフライロッドなんですよ。
だったら機能性はどうなの?っていう疑問がでてきます。
でもねえ、フライロッドは漁具ではないのだから機能性云々は絶対的なものではないですよね。
外見や感触という部分は、もう個人の感覚の問題なので、お好きにどうぞ、としかいえません。
そこに、商品としての価値というモノも絡んできます。
いい竿かどうかの判断は、価値というお金に換算できる要素を排除しても、結局は個人の嗜好や好き嫌いっていう感覚の部分にまかせるしかないわけです。
もうひとつは、その竿が持つブランドイメージって言うのでしょうか。
ステータス性と言い換えていいのかもしれませんが、自分が使っている竿を他の釣り人に見られたときに、
「その竿は◯◯ですね(暗に、いい竿を使ってますね~)」
という羨望の視線を浴びたり、うらやましがられることに、
おそらく本来的に自己顕示欲が強い釣り人は独特の快感を感じてしまう、
という、けっして否定できない欲望があると思います。
フライロッドを単純に機能性や便利さだけで選択してるわけではない、
という意味では、クルマやバイクと一緒ですよね。
また、歴史を所有しているという意味では骨董品的なモノもあるし、
手指の感覚の延長線上にあるという部分では、楽器にも似ているのかもしれません。
クルマや骨董品、楽器に関してならば、玉石混淆とはいえ、膨大な情報や批評が手に入るじゃないですか。
ところが、釣竿、フライロッドに関してはどうなんでしょう。
戦略的パブリシティ以外の情報って、ほぼ皆無かもしれません。
商品経済の中で、まあ、当然と言えばそうなのですが・・・
それにしても、もうちょっとちゃんとした批評があってもいいような気もします。
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