この頃のレナードには、いまだ複雑な思いが・・・
結論から書くと、僕がはじめてレナードを手にしたのはかなり後のこと。
僕がペゾンの呪縛から逃れた頃、レナードは既にレナードじゃなくなっていました。
米国の釣り具業界事情はまだこの国では藪の中の出来事。
ひさしぶりに店頭に入荷した新しいレナードの竿を、これがレナード・・・、と、いぶかしく思いながらも眺めていました。
そして、ようやくガラスケースの鍵を開けてもらい、フェルールを繋いでみて、
「なんだこの竿は、欲しかったレナードじゃないやんか」
と、呆然とすることになるのです。
それまでの潔いまでのシンプルな外観を捨ててコテッとした半端な厚化粧にはしり、いかにも高価そうなレザーのロッドチューブに入ったレナードという名前の付いたバンブーロッド。
それはコスメだけではなく、アクションまで以前の、いわゆる赤巻きのレナードとは異なる、まったくの別物でした。
その数年後、レナードには最後の大きな変化があり、一般には評価の高い、いわゆるマックスウェル・レナードになるのですが、僕にとって、マクスウェル時代にはレナードは既に終わっていました。
なんだか綺麗ではあるけど黒くってへんなバンブーロッドだと思っていたT&T、その創業者の片割れがレナードの歴史に最後の変革を加えたことは、当時の僕には知るよしもなかったのですが。
今から考えると、性能的に優れたグラファイトロッドが伝統的ないかにも竹竿らしいバンブーロッドに引導を渡したんでしょうね。
そこには、グラファイト時代のバンブーロッドのあり方を模索する初期の段階で、いくつかのメーカーがバンブーロッドの本質を離れて、工芸品的なルックスを持ったグラファイトロッドに近いアクションのロッドを作ろうとして、誤った袋小路へと自らはまり込んでいった姿が垣間見られます。
僕の偏見かもしれませんが、西海岸のバンブーロッドメーカーが1970年代の終わりから80年代にかけての淘汰から生き残ったのは、伝統に執着することなく、ホロー構造などの新しい試みを取り入れながら少しずつ変革を積み重ねていったからだと思います。
対して、レナードは伝統に固執したままで行き詰まり、一気の改革を試みて失敗したのでしょう。
その後、僕が最初に手に入れたレナードは、A.C.M. 時代の38H。
クラッシックタックルショップからでした。
ふつうの赤巻きでよかったんだけど、つい変わったモノに手を出してしまいました。
この竿はずっと僕のお気に入りで、まだまだイワナがいっぱいいた富山の渓流で使い回していた記憶があります。
その頃愛用していた竿は、このレナードと、スコットのG854、そしてウインストンの7’6”#3のグラスロッドでした。
どれかに偏ることなく、バンブー、グラファイト、グラスとそのときの気分と状況に合わせてまんべんなく使っていましたね。
未だバンブーロッドマニアにはなっていなかった、ってわけです。
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